研究概要 |
他者の身体を任意に操作する動作は一般的に困難であるため,特殊な身体技法を会得している人物に限られている.本研究ではこれまでに一般被験者による背負い動作や現役介護士による移乗動作を扱ってきた.他者の身体を操作する動作の一般原理を解明するために,身体運動を研究している甲野善紀氏に計測被験者として協力を得た.本研究ではこれまでに甲野氏による他者の身体を任意に操作する動作の計測と解析を行った.また,一般被験者による比較実験も行った. 他者の身体を操作する動作として,座位の他者を引き起こす動作,立位あるいは座位において他者の身体を押す動作,竹刀で相手の姿勢を崩す動作,他者の動きを回避する動作を本研究では扱った.計測には光学式モーションキャプチャシステム,床反力計,筋電計,足圧力分布計を用いた.本報告では簡単のために,座位の他者を引き起こす動作についてのみ解析結果を説明する. 甲野氏と一般被験者との大きな違いとして床反力の向きが挙げられる.一般被験者は腕の力で他者の身体を鉛直方向に持ち上げようとするため,力は鉛直上向きである.これに対して甲野氏は床反力ベクトルが一般被験者と比べて水平成分が大きく,水平方向の運動によって他者の身体を引き上げていると考えられる.そこで床反力と運動の関係を考察するために重心とZMPの軌道に基づく考察を行った. 重心とZMPの軌道から動作主体者は自身が倒れ込む勢いを他者の身体を支えることに利用していると考えられる.これはこれまでに扱った介護における移乗動作にも見られる戦略である.一方で,他者の身体を引き上げる直前においてZMPの振動的な振る舞いと急激な変化が見られる.これは急激なZMPの変化によって身体の加速度が増大し,他者の身体を引き上げることを可能にしていると考えられる.このように,本動作では大きく2つの力学構造を利用していることがわかり,甲野氏の運動の巧みさの一端を理解するに至った.本解析結果をもとに異なる制御ゲインを使い分けることで他者の身体を自己の力学構造を利用して引き上げる力学モデルを提案し,その運動をシミュレーションした. また,他者の身体を引き上げる動作以外においても解析を行い,これらの動作に共通する人の運動のコツについて考察した。
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