研究課題/領域番号 |
10J05450
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研究機関 | 東京工業大学 |
研究代表者 |
金山 浩司 東京工業大学, 大学院・社会理工学研究科, 特別研究員(PD)
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キーワード | 弁証法的唯物論 / ソ連の科学技術 / 日本の左翼運動 / 哲学と物理学 |
研究概要 |
戦前期日本における、左翼自然科学者たちの哲学的議論の様相についての手掛かりを得るため、当時の総合雑誌、哲学雑誌(『思想』、『唯物論研究』、『世界文化』など)に掲載されている自然科学関連の論考を総覧した。その結果、同時期のソ連における同様の論文がいくつかロシア語から翻訳されて紹介されていること、いくつかの主題(宇宙が将来、熱的死を迎えるかどうか、エネルギー概念の哲学的解釈、因果律など)についてはソ連において同時期に行われていた論争を追っていること、その一方で、ソ連では見られなかったような類の論争(数学と弁証法的唯物論との関連についてなど)が行われていたことを確認した。従来は十分精査されてこなかった、戦前期日本に対するソ連の知的影響-これは戦後に至っても、例えば坂田昌一のような高名な物理学者であり社会問題・哲学的問題に関する多数の著書を残した人々にも効いている-をみる上で、これらの事例は重要な要素となるであろう。 6月には科学基礎論学会において、当時のソ連および日本で大きな批判対象となっていたエディントン・ディラックの数秘術的観点についての発表を行い、哲学研究者からの反応を得た。 多くの研究所を傘下に置く、ソ連科学制度史上極めて重要な要素であるところの科学アカデミーとソ連政権との相互関係をみるなかで、従来あまり注目されてこなかった、大粛清期(1936-38年)の変化についての研究に先鞭をつける意味をなす論文-重職についていた共産党員の粛清について文書館資料を基に考察を行った-を公刊した。 ソ連と日本の科学技術史、思想史、政治史等に関連した書籍の収集も行った
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
1930-50年代のソ連・日本の双方における哲学論争に関して、資料収集を進めたものの、これら論争の内実に関する分析、それを各国の政治的・社会的文脈の中に位置づける作業は端緒に就いたばかりである。
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今後の研究の推進方策 |
大粛清期の科学アカデミーが被った組織的変化について、ロシア・モスクワの文書館に所収されている諸資料をさらに精査することで、当時のソ連学術界が置かれていた緊張状態について考察する。こうした政治的緊張は哲学的な論争にも影を投げかけており、これを考察することは哲学論争の経緯をより陰影を持たせつつ記述する際に重要となってこよう。 名古屋の坂田昌一記念史料室に一定期間(2-3週間ほど)滞在し、坂田の青年時代(1930年代)にまでさかのぼる諸資料を見ることで、このマルクス主義者の知的形成に関する見取り図を得たい。坂田は戦後日本の論壇・物理学界双方にきわめて大きな影響力を有していた人物であるにもかかわらず、一次資料に基づいた彼の生涯の記述はまだ進んでいるとは言えず、戦中-戦後日本の哲学的論争史を記述する際にもこの方面を押さえておくことは重要な意義があるであろう。 これまで得た研究成果(博士論文)を書籍化する作業も行う。
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