近年、美術史学や碑文学において、ダムナティオ・メモリアエ(記録・記憶の断罪)というテクニカルタームを、従来の皇帝や元老院議員などに対する公的な断罪処分に限定せず、より広く記録の破壊行為を総称するものとしても用いる見解が生じている。そこで今年度の研究では、共和制末期から帝政初期における都市ローマの墓碑を中心として、元老院決議とは関連のない私的な記録の改変の要因分析を行うことにより、公的な断罪としての記録の改変と私的な記録の改変との関係性を明らかにしようとした。研究に際しては、ラテン碑文集成を中心として対象事例の渉猟を行ったほか、ドイツ考古学研究所(在ローマ)、マッフェイ碑文博物館、アクィレイア考古学地区などで文献収集と史料撮影を行った。その結果、墓碑において氏名等が意図的に改変された事例は元老院議員から被解放自由人に至るまで、複数確認することができた。しかしこれらの事例が故人の断罪を目的としたものであるという確とした証拠は発見されなかった。むしろ、生前に建てられた墓において後の状況の変化に対応させるために改変が行われたと推測される事例など、断罪を目的としたものではない改変である可能性が強いことが判明したのである。すなわち、公的な断罪処分と墓碑などからの私的な氏名の抹消を、ダムナティオ・メモリアエという1つの言葉で括って扱うという近年の一部の研究者たちの見解には問題があることが確認された。しかしその一方で、石に刻まれた記録を、修正が明らかな形で改変し、そのまま掲示し続けていたということからは、記録の修正に対して「鷹揚」なローマ人の意識も浮かび上がってきたのである。
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