植民地における後藤新平の「衛生思想」の形成とその実践の経緯を明らかにするという研究目的を達するために、本年度の研究実施計画の通り、相関資料の収集、閲覧ないし実地調査を行った。衛生局長時期から臨時陸軍検疫所そして台湾時期の後藤の足跡は、広く日本本国に散在しているだけでなく、台湾にも残されている。資料収集は、主に国立国会図書館/京都大学/北海道大学図書館/広島各資料館/国史館台湾文献館/国立台湾博物館/香港大学/香港中央図書館などで実施した。 こうした資料に基づいて研究報告し、多様な意見を受けることは、有意義な研究成果の発表へ繋げていく重要なステップであった。そのため、相関テーマについて、早稲田大学台湾研究所(2010年6月14日)、早稲田大学アジア研究機構(2010年6月18日)、青山学院大学(2010年11月13日、2011年2月24日)という.公開の場で四回の報告を行った。その結果、日本、台湾ないし韓国などの医療史や植民地研究に関心のある方々に有益なコメントを受けることができ、後藤の「衛生思想」について、それによって次のような理解を深めることができた。 後藤は、19世紀後半の世界を根本的に変革した科学主義に正面からぶつかった。科学の魅力にひかれつつ、付随してきた啓蒙や近代化に対する必然的な葛藤は、すでに直観力と感受性が富んだ若き後藤の思想形成の時期に見られる。そして、似島臨時陸軍検疫所の仕事は、後藤に、「科学」と「宗教」の対立と統一という問題を、実践レベルで考察する重要なきっかけを与えた。したがって似島施設での体験は、後の植民地統治や東京市政や震災復興に多くの影響を与えたと推測できる。本研究の全体において、後藤の似島体験は至急の課題であるため、現在その作業を着手している。
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