研究概要 |
クマーリラの著作『原理の評釈』第2巻2章部分について,インド刊本に基づいて,内容の梗概を作成した.梗概作成の過程で,次の諸点を確認することができた.クマーリラ以前から,ヴェーダは永遠の天啓聖典とみなされ,各祭式の教令は,果報を得るには,その祭式独自の類型(apuurva)に忠実に祭式を遂行するよう,教令を学んだ人間個人に働きかけるとされ,他方で,なんらかの目的実現をめざして適切な手段を駆使して行うという,個人の行為の形式が「惹起作用」(bhaavanaa)と呼ばれていた.クマーリラは,apuurvaの意味を,祭式の実行により個人の自我に蓄積されていく,将来の果報獲得のための形成力(sa.mskaara)に転換したのみならず,教令をはじめとするヴェーダの規定文からの働きかけを,個人の行為の形式に準じた一種の惹起作用として捉え,これによって,聖典解釈の立脚点を聖典と個人とに二極化した.そして啓示を受ける個人の立場に立って,第2巻第2章での問題関心を,恒常不変の規範であるヴェーダの文の分析から,個人の行為とその結果の関係へと,そしてさらに,個人の行為の形式そのものへと方向転換していく.しかし他方では,教令の規定作用が「転移」するという発想に,聖典は個人に先立つという学派の伝統的思想が窺われる.教令の中の動詞語尾が,まず聞き手に「惹起作用を発動すべし」との抽象的な命令を発し,教令の動詞語根の部分の働きにより,その命令が具体的祭式行為へ転移し,教令以外の規定文における諸々の単語の働きにより,それがさらに祭式行為成立のための諸要因へと転移していくと言う.第二段階の転移が完了すると,教令を中核とした諸々の規定文が序列化され,文相互の階層的連関によるヴェーダの自律的な啓示が完成する.なお刊本未使用の二本の写本をコピーを入手したので,来年度はこれを参照して内容梗概を再検討した上で,各議題におけるヴェーダ観を明らかにしつつ,成果報告書を纏めたい.
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