研究概要 |
本研究の目的は,ヨーロッパ中世から近代にかけての古典教育において、レトリック教育がどのような役割をはたしたのか,その具体像を解明することにある。研究初年度の本年は,まず,ルネサンスがもたらした古典教育がどのように組織化されていくのか,その過程を16世紀フランスをモデルにとって明らかとした。中世の大学の指導的原理であったスコラ学は,15世紀末にルフェーヴル・デタープルの各種のアリストテレス論理学注解書の刊行によって異議申し立てを受け,16世紀半ばにペトルス・ラムスの学芸学部カリキュラム再編案によってその指導力を大幅に減じられる。代わりに台頭したのは古典ギリシア語・ラテン語の講読授業であった。パリ大学において,これは15世紀後半の学芸学部の課外授業(エクストラオルディナリス)として出現するが組織的にカリキュラムに取り入れられるのは16世紀初頭のコレージュ・サント・バルブ等一部先進コレージュにおいてであり,上記ラムスの再編案はこの動きを確実なものとした。以上は,月村辰雄,「16世紀フランスにおける学芸の世界」(岩波書店『ノストラダムスとルネサンス』に収録)を参照のこと。また,本年度の研究対象の第2は,この過程でカリキュラムに取り入れられたレトリック教育が17〜18世紀にどのように展開したか,概要をイエズス会のレトリック教科書に即して明らかとすることであった。古典教育との関連においては,キケロのペリオド文(総合文)を絶対的な基準としていた初期のソアレス,また中期のジューヴァンシーの教科書の傾向は18世紀初頭に至って覆され,ル・ジェーの教科書においてはセネカ風ないしはタキトゥス風の含意に富んだ単文が例文として多く採録されている。これは時代の趣味の変化に対応したものであった。以上は,月村辰雄、「レトリックの花園」(白水社『フランス』に連載〉を参照のこと。
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