イラン・イスラーム文献が描くモンゴル時代の世界像を研究する第一の作業として、入手済みのイラン・イスラーム文献古写本のマイクロ・フィルムのなかから、とくに緊急性の高いものを選んで焼きつけ、解読をすすめた。その結果、モンゴル時代のイラン・イスラーム地域における世界認識は、13・14世紀の当時としては極めてすすんでおり、東は中国から中央アジア・インド亜大陸・中東をへて西はヨーロッパにいたるまで、諸文明圏にまたがって文字どおりユーラシア・サイズで、従来の常識的見解をはるかに上回るレヴェルで確実かつ具体性のある知見を有していたことが克明にわかってきた。これは、人類史の理解を書き換える意義をもつ。15世紀末以降のヨーロッパ人の「地理上の発見」までは、人類は各文明圏の枠のなかで相互に孤立しあっており、文明圏をこえたかたちでの世界の客観的イメージや具体的な全体像をもつことはなかったとする"通念"は、ヨーロッパ近代の知のなかで創作された虚像であったといわざるをえない。 また、これらの諸文明圏のなかで興亡した主要な国家や王朝についても、驚くべき正確さで描かれた「世界諸政権の交代系統図」とでもいっていいビジュアル化した文献がモンゴル時代のイランで作成された。この文献の存在は、13・14世紀において当時のモンゴル帝国の少なくとも支配層については、ユーラシア各地域の歴史と現状に関しての総合的情報とその認識が確実に存したことを証明する。人類史全体をひとまず総括する知的水準が、すでに13・14世紀に達成されていたわけであり、前近代アジアをともすれば低く見がちな19・20世紀型の知の体系は、根本的な誤謬をはらんでいたことを示している。
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