研究概要 |
五山文化については、『碧巌録』がどのように理解され、どのように受け継がれてきたのかを明らかにした。寿岳章子氏旧蔵『碧巌録集抄』に引用された人名を調べると、関山慧玄・宗峰妙超・竺仙梵僊・椿庭海寿・岐陽方秀・日峰宗舜・一休宗純・悟渓宗頓など著名な人名が並ぶが、これらの注釈文は断片的で、纏まった著作からの引用とは見えない。これは、おそらく代々、大応派が積み重ねて来た注釈を集成したようなものから引用したと考えるべきである。引用された注釈書が、巻によってかなり偏りがあることや、引用された漢籍・仏典は90種近くあるが、ほとんどが一、二例の引用で、、名称も、「聯灯」「聯灯録」、「会元」「五灯会元」と、いうように、少しずつ異なっている。これらの引用を含んだ、代々の注釈が存在していたと解釈するのが合理的である。13世紀から、連綿と『碧巌録』の注釈が行われ、『碧巌録』の解釈は、天正十三年(一五八五)に到ると、日本人の注釈だけで十分に理解できるほどになっていたことが分かる。 キリスト教の受容については、ポルトガル人イエズス会士バレト,M.が、日本語学習のため、当時既に日本で作られていたキリシタン物語、日本語訳されていた聖書抜抄句集、聖人伝をローマ字で書写した「バレト写本」(1591年)の分析を通じて、その受容のありさまを具体的に明らかにした。本研究では、「バレト写本(Reg.Lat.459)」の訳文をヴルガタ聖書のラテン語文と対照した。その結果、(1)日本語訳はヴルガタ聖書のラテン語聖句を必ずしもそのまま翻訳しているわけではない。(2)聖書に全く出現しない表現が見られることがある。などという特徴が明らかになっている。この作業は、研究目的を遂行するためのごく基本的なものであるが、あまりにも膨大な作業になるために、これまで行われてこなかったものである。
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