(1)『六朝詩人伝』(大修館書店、2000年)において、陸機・陸雲・沈約・劉孝綽の正伝を翻訳した。陸機・陸雲兄弟は西晋の南北文化の衝突と融合を身をもって体現した人物であり、沈約は、中国詩における声律の重要性を初めて自覚的に論じた人物で、その後の音韻学へ大きな影響をた。その訳出作業からは、北朝の正統意識の普遍性と特殊性を探る糸口を得ることができた。 (2)北朝文化を考えるときに、忘れてはならない大きな要素は、「華化」という問題である。それは、単に非漢族が圧倒的な中華の勢力下に取り込まれていく漢化の過程を指すのではなく、周縁地域において、同時交替的に「華」の「非華」化という現象を孕みながら、大きな流れとしては双方による作用と反作用を繰り返しつつ、「華」のエリアを拡大していくことを指す。北魏の国家としての成長は、まさにこの「華化」の過程そのものであった。始祖力微時代に尊重された固有の風俗習慣も、道武帝の時代になると抗いがたい「華化」の勢いに飲み込まれ、漢族出身の馮皇后が推し進めた漢風の体制を引き継いだ孝文帝が、過激とも言える勢いで、姓氏の改変・鮮卑語の禁止・旧族の墓地の中原への移動・洛陽遷都など、数々の華化政策を実施していくなかで、正統の所在の変遷と言語(正音)意識の成熟という興味深い現象を連関させることができた。北魏期のこれらの「華化」現象は、中華の周縁部に常に繰り返される「華化」メカニズムを考える上で、貴重なモデルを提供となる。 (3)北魏孝文帝によって推進された「華化」の通時的意味を探るために、清初に福建語・広東語の話者に対して行なわれた官話教育との比較検討を行った。清初の材料としては、当時の官話教科書『官話彙解便覧』が、中国境内のみならず、琉球や長崎などの境外をも巻き込んで広く流通したことの意味について考察し、「『新刻官音彙解釋義音注』から『新刻官話彙解便覧』へ」として発表した。
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