本研究は、ラテン文学における神話を題材とした叙述技法を観察・検討することを通して、ギリシア神話の伝承について本質的様態に考究することを目的として揚げた。具体的な観察対象として、本年度はとくに、範例(exempla、paradeigmata)と抽出(ekphrasis)とを取り上げた。 範例は人々を説得する際に神話から例を引く形式で、すでにホメーロスの叙事詩において高度な技法の成熟を見せ、その後も古典文学の伝統の中でジャンルに応じて様々な展開を示した。個別的な考究としては、リウィウス『ローマ建国以来の歴史』に関する論文(裏面参照)を発表し、歴史叙述の中での範例の機能・効果という面から検討した。この他に、考察への全般的視点として、範例が説得力を有するのは、単純に語り手側の神話に関する知識に依存するのでなく、神話の中にある説得に適切な要素を聞き手に想起させることによる、ということに注目した。このことは、一方で、聞き手の側が自分のよく知っている(と思っている)神話について目前の問題との関連であらたまった意味づけを知らされる、というソクラテスのアイロニーにも似た側面をもつ。他方、神話が本来的に口承伝統である、つまり、神話の存続は語ることを通じてのみ保たれ、その語りの場では語り手と聞き手が想起を繰り返す、ということを考えるとき、この特性が範例の構造の中に取り込まれていることが見て取れる。 このことを神話を語ることへの自覚的なあり方と呼んでよいとすれば、抽出において、その関係はさらに複雑化する。抽出は絵画や彫刻など造形物に描かれた場面を叙述する形式を言う。そこでは、叙述される物のレベル、抽出される側の心象のレベル、抽出を聞く側の想像のレベルと、必然的に現象・知覚・認識・表現という一連の作用の重層化を伴う。
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