本研究では、日本における西洋の古典の伝承と受容の一環としてのキリシタン文献を、言語・文化・歴史の横断的な視座から総合的に分析することを主眼とした。 研究代表者は「異界の変奏」において、キリスト教教理書『どちりなきりしたん』と同時代のフィリピンで刊行されたDoctrina Christianaを比較しながら、フィリピンでは複数形のinfernosの翻訳にさいしてヨーロッパでの通例を踏まえているのに対して、日本では仏教語「地獄」との差異を強調すべく複数ある異界を区別するために「いんへるの」という借用語を用いて、独自の翻訳方針をとったと結論づけた。また、Doctrina Christianaの一節にくわしい注釈をくわえた写本の中に、フィリピンの精霊(Anito)を邪神と断じながら、異教徒が厳しい罰をあたえられたという説話を書きとどめていることを指摘した。キリシタン文献を同時代のアジアにおける布教活動と比較対照するという方法はこれまでの研究には見られない新たな試みといえよう。 研究分担者は、「神の掟で光る銀」等の論文でにおいて、ポルトガル商人が日本の銀を求めた活動の背後に宣教師の布教方針との合致を見出すと同時に、そのような商人と宣教師の連携が日本のみならずインドを中心としてアジア全域で展開したことを指摘した。そして、ヨーロッパ人の日本観を分析しながら、宣教師が日本では文化適応主義的な方針を採用したにもかかわらず、その根底にはヨーロッパ中心主義的な観点が牢固として存在していたことを分析している。キリシタン文献に含まれる宣教師の報告書のみならず、ヨーロッパにもたらされたインドや日本にかんする情報を大航海時代という広い文脈に位置づけたという点で今後の研究に貢献するところがすくなくない。
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