研究概要 |
1)東ローマ帝国ユースティーニアーヌス帝が6世紀に編纂し、11世紀以降のヨーロッパで『ローマ法大全』として伝承された『法典』について、その当初の編纂目的を明らかにする作業を行った。 2)ユ帝の学説彙纂、編集勅法Deo auctore 6および公布勅法Tanta 10のいずれも、現行の法としてふさわしいように、古典期著作に修正・変更を加えるべきことを命じている。このため、16世紀の人文主義法学以来この修正の箇所を見出し、古典期のあり方を論ずることが、大きな課題とされた、とりわけ19世紀末、ドイツ民法典成立後は、ドイツ学者を中心に、ローマ法学は挙げて修正問題に携わった。しかし、1960年代後半から次第にこれらの行き過ぎに対する反省が高まり、現在ではできるだけ修正のないもの、古典期著作がそのまま採録されているものと見る見解が有力となりつつある。 3)このような現在のローマ法研究の動向からすると、ユ帝法典編纂の目的は、「ユ帝時代に適合的な法体系の創出」ではなく、むしろ、「裁判所で使用可能な法学著作の限定による法の安定化」というささやかな、しかし、それなりの正当な機能を目指すものと解される。ちしこのような見解を受け入れるとすると、ユ帝立法におけるいくつかの態度が極めて明確に理解しうる。 4)第1に、「略符号の使用の厳禁(Deo auctore 13,Tanta 22)」については、法学著作伝承の確実性を目指すための極めて妥当な措置であったと解される。第2に、「ユ帝による註解禁止令(Deo auctore 12,Tanta 21)」については、ユ帝の意図は、写本自体への書込みにより次の写本筆写作業の際、本文中に組込まれ、結果として、写本が繰り返し写し伝えられる中で、本文の変更が生ずることを阻止することに限られていたと解される。 5)もっとも、ユ帝法の編纂者が、古典学者の著作自体を変更を加えることなく採録しても、古典期から、ユ帝期の開に生じた制度変更などにより、その意味が変わってしまうことがありえる。本研究では、その若干の事例についてケース研究を行った。
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