チベット蔵外文献学綱書の視座より見たインド古典緒論書の思想の文献 学的研究 仏教大学 森山清徹 ツォンカパ(1357-1419)は『菩提道次第小論』『中観意趣善明』で二諦すなわち世俗諦と勝義諦の区分を<二諦は同一の自性を有するが、排除による区別あるもの>と結論付ける。それは、唯識派か中観派の自立派、帰謬派に共通するすなわちインド大乗佛教の論理である。ツォンカパはそれを二方法により導く。 1.論理による方法としてカマラシーラ(c.740-797)の『中観光明論』に引用されるアポーハ論に基づいている。 2.聖教による方法としてカマラシーラの『中観光明論』に引用される『解深密教』の見解から二諦は同一でも別でもないと導く。 このことは、ツォンカパ以下ケーデゥプジェ(1385-1438)、ジャンヤンシェーパ(1648-1721)、ガクワンパルデン(1797-?)、ダライラマ14世に至るチベット仏教ゲールク派の伝統であることが彼らの著作の上から確認され得る。そのさらなる背景は、1.2.共にカマラシーラの論述が事実上の原点となっている。1.そのアポーハ論は、カマラシーラ自信がダルマキールティ(c.600-660)のアポーハ論に依っている。それは、ガクワンパルデンの『量評釈』第一章k.40-42への言及からより明白となる。1.2.共に典拠となる経論に対する評価が中観派内でも自立派と帰謬派とでは異なる。特に2.『解深密教』の論述を自立派は無自性、勝義を説く了義とするに対し、帰謬派は帰謬すなわち自性が別、排除が同一と仮定した場合に導かれる矛盾の指摘であり未了義と解釈する。この点が帰謬派を最重要視するツォンカパ以下のゲールク派の伝統を表し、むしろ2.による結論を『解深密教』よりも『般若経』やナーガールジュナ(c.150-250)の見解から導こうとしている。しかし、このことがかえって自立派カマラシーラの『中観光明論』が、その事実上の典拠としてゲールク派の伝統の中でいかに影響を持ったかを、より明白に示している。
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