中川は次のような研究を行った。-古代から18世紀にいたるヨーロッパにおいて、さまざまな著作が生み出されてきたが、それらのうちで、「古典的」という修飾語を冠するに足りるものは、どれであるかについての合意が成立したのは、18世紀半ばであった。すなわち、この時期のフランスで、初めて「古典」という規範的概念が、明確な形で成立してきたのである。それとともに、ギリシャ、ラテンの特定の文筆家たちの著作が、コレージュ(現在の中・高等学校、大学一般教養課程までを含む教育機関)における教育カリキュラムの中に組み込まれる。同時に、こうした作家たちを、まさに「古典的」と称しうる内的条件はなにかを分析する学問が成立してくる。すなわち、「批評(批判)」の成立である。 他方、18世紀フランスは、「権威」から「批評(批判)」へという大きな流れを作り出すことで、古典の受容と継承をコレージュ教育によって保証する、ということにも成功した。しかも「古典的」著作の受容・継承はこの時代の古典学者たちの研究と教育の努力によって、ますます強固なものになっていった。 このようにして、18世紀フランス社会は、古典を媒介とすることによって、ヨーロッパ文明の連続性を継承しつつ、しかも同時に自己革新をはかることに成功した。 多賀は、次のような研究を行った。-17、18世紀におけるベネディクト派修道会士の学問的業績は、ブルターニュなどの地方史の編纂、史上初めて、かつ類を見ない編纂法に基づいた「フランス文学史」、ジャンセニストからの要請による聖アアウグスティヌス全集の刊行など、おもに歴史的調査の正確さと該博さにおいて卓越していた。またこれらの学問的調査には、ヨーロッパ中の系列修道会との連絡網が駆使されていた。著名な学者僧としては、マビヨン、モンフォーコンなど一般にも知られたすぐれた「歴史批評学」の大家を輩出した。 18世紀末、フランス革命期に没収された逃亡貴族や修道会の財産・収集物について、パリから全国に報告書作成の命令が出されていたが、添付された目録書のモデルは正確を期したものであった。実はそうした任務にはベネディクト派修道会士をはじめ多くの修道会士が関与していた。また、この点に関して、彼らの図書館経営がいわゆる「古典主義的な知」の構造を反映した前記の蔵書ないしは図書館のあり方と一線を画した、より近代的なものになっていることに注目した。ベネディクト派修道会において図書館はむしろアーカイブ(古文書館)としての性格を付与されていた。書物は知の総体の代表ではなくむしろ個々の事実の記録となる。蔵書は閉じた空間ではなく無限に増え続ける記録となるのである。
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