本年度は、コオロギを材料とした研究により、キノコ体のNO(一酸化窒素)シグナル伝達系が嗅覚記憶に関与することを明らかにすることが出来た。まず、NO含有細胞の組織化学的染色およびNO誘導性cGMPの抗体染色により、コオロギのキノコ体の葉部(出力部)にNO-cGMPシグナル伝達系が存在することを示唆する結果が得られた。嗅覚系を構成する他の脳領域である触角葉や側葉ではほとんど染色は見られなかった。NO合成阻害剤(L-NAME)、NO発生剤(SNAP)、NO除去剤(PTIO)、cGMP合成阻害剤(ODQ)、膜透過型cGMP(8-br-cGMP)などを用いた行動薬理学的な研究により、条件付けから3時間以後の記憶(初期の長期記憶)の成立にはNO-cGMPシグナル伝達系の正常な働きが不可欠であるとの結論が得られた。これは、キノコ体の葉部のNO-cGMPシグナル伝達系の正常な働きが中期記憶の形成に不可欠であることを初めて示唆する成果であった。 次に、嗅覚学習に伴うキノコ体出力ニューロンの活動変化について調べた。ゴキブリのキノコ体の出力ニューロンの嗅覚学習に伴う活動変化について多くの成果が得られた。しかし残念なことに、現時点においては学習に伴うニューロン活動の変化について体系だった結論を得るには到っていない。今後さらにねばり強く研究を進めていく必要がある。 上記の研究の過程で、ゴキブリの触角葉の冷、乾または湿糸球体に樹状突起を持ち、その軸索は前大脳に投射する温度・湿度感覚介在ニューロンからの細胞内記録・染色が14例得られた。これらのニューロンの軸索は、前大脳側葉において、一般の匂いや性フェロモンの情報を伝える触角葉出力ニューロンの軸索の終末領域と隣接した領域に終末していることが明らかになった。
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