定型化されたパターンが顕著に現れる無脊椎動物の行動では微小脳内に遺伝的に組み込まれた行動制御機構が学習などの可塑的な行動制御機構に比べてより本質的な役割を担うと考えられているが、その実体はまだ明らかでない。本研究の目標はゲノム研究のモデル生物の1つであるショウジョウバエをもちい、生得的な行動の背後にある遺伝的メカニズムを明らかにすることである。このハエ成虫の交尾ではオスの求愛行動が複眼からの視覚入力により制御を受ける。作用スペクトルを解析すると短波長側では抑制性の、また長波長側では促進性の効果として分離できることがわかった。しかし光依存性については近縁の種や種内の系統間で著しく異なっており、数種のショウジョウバエの系統間で遺伝解析を行うと、いずれもオス側の遺伝子型により決定されていることがわかった。これらの差異がオスのどのような生理学的、形態学的な差異により生ずるものなのかはわからない。網膜レベルでの応答性の差異は確認できなかったので、オス微少脳におけるなんらかの遺伝的な変異と考えられる。しかしオス求愛にかかわる遺伝子を突然変異により分離すると、2つの、いずれも複眼光受容細胞に発現する遺伝子が関与することがわかった。1つは白眼遺伝子white、もう1つは光受容膜上に発現する細胞接着因子chaopticであった。2つの突然変異は複眼の応答性自体にはほとんど異常をもたらさない一方、空間解像度や偏光感度などの光学特性を著しく低下させる点で共通性がある。したがってオス微小脳では、偏光ないし波長特性をもった光学像のような視覚的情報が、交尾相手を認識し求愛を制御する光情報として利用されていることが示唆される。また明下でのオス求愛行動に遺伝的な変異が著しいことは、この求愛の神経機構が進化的に多様化していることを示唆していて興味深い。
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