研究課題/領域番号 |
11301012
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研究種目 |
基盤研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
頼 祺一 広島大学, 大学院・文学研究科, 教授 (50033494)
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研究分担者 |
勝部 眞人 広島大学, 大学院・文学研究科, 助教授 (10136012)
谷山 正道 天理大学, 文学部, 教授 (30144801)
三宅 紹宣 広島大学, 大学院・教育学研究科, 教授 (10124091)
三澤 純 熊本大学, 文学部, 助教授 (80304385)
中山 富広 広島大学, 大学院・教育学研究科, 助教授 (50198280)
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研究期間 (年度) |
1999 – 2001
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キーワード | 近代の時間意識 / 地域における文明開化 / モノ・人・情報(の動き) / 地域の近代化 / 西廻り海運 / 地域間ネットワーク / 近代化の諸相 |
研究概要 |
本研究は、19世紀後半を中心に、近代的な制度・システムの導入によって、あるいは毛細血管の如き海運ネットワークで結ばれた地域間の結びつきの変化が、それぞれ地域社会にどのような影響を与えていったのか、つまり近代化の諸相を探っていこうとするものである。 各セクションの調査研究の報告会を実施して個別的な討議を行う一方、全体的な意見集約の方向性についても議論を重ね、各地域における人々の時間意識をさぐる方法論あるいは地域間ネットワークの変化による各地域の人々の空間的広がりとその対応について分析していく方法論について検討を行った。 時間意識については、日記等を中心に諸層の太陽暦・新時刻法への対応をより深く分析していったが、たとえば学校という装置を通して子どもの生活に新暦が持ち込まれたことによって、旧来からの子どもの行事が維持し得なくなっていくなど、確かに影響が認められる。いっぽうで農業や漁業に従事する人々にとって旧暦は生業に密着したものであり、容易には新暦を受け入れることができなかったのも確かである。そうしたなかで、明治政府の進める儀式・祭典は、新暦や新しい時間を、行政機構をとおして村レベルにまでおろしていく側面をもち、人々の生活意識とのあいだで後年までせめぎ合いが続くことも明らかになった。 空間的対応についても、明治前期まで瀬戸内海に浮かぶ倉橋島や周防の沿岸部室積等で豊後や肥後・有明海地域、あるいは東北日本海側などとの活発な交易が、あるいは出雲でも備後松永の塩や北陸の米の交易が船によって活発になされていたことが明らかになった。しかし明治中期になると山口県沿岸部を中心に朝鮮半島へわたって行ったり、すでに明治前期の段階、すなわちまだ鉄道輸送や汽船が一般化していない段階で、廻船業を廃したり大型船・小型船を問わず地域を結ぶネットワークが衰退しはじめる面も明らかになった。ただ、なぜそういう動きが見られたのか、それが各地域にどういう影響を与えていくのかなどに関する史料は、今回結局発掘することができなかった。 特に空間の変容と生活への影響については、まだ不十分であることは否めないし、何より時間と空間を切り結ぶ方法論は、今後の課題として残されたといえる。この研究をステップに、今後いっそう深めていく必要があるといえるだろう。
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