研究課題/領域番号 |
11410075
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研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
佐藤 尚子 広島大学, 大学院・教育学研究科, 教授 (10215824)
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研究分担者 |
藤井 泰 松山大学, 経営学部, 教授 (80148783)
稲葉 継雄 九州大学, 人間環境学研究科, 教授 (00134180)
蔭山 雅博 専修大学, 商学部, 教授 (50204350)
平田 諭治 筑波大学, 教育学系, 講師 (40311807)
森川 潤 広島修道大学, 人文学部, 教授 (20136021)
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キーワード | 教育史 / 教育交渉史 / 日本教育観 / 日本外務省記録 / キリスト教宣教師 / 万国博覧会 / 外国人お雇い |
研究概要 |
今年度は研究の最終年度にあたり、研究のとりまとめを行い最終報告書を作成した。最終報告書では、次のような新知見が得られた。第一に欧米諸国と日本との教育交渉史において、19世紀末から20世紀初頭にかけて近代日本の教育が発見されたことである。発見された背景は国によって異なり、その国の事情を反映していた。(1)イギリスでは当時、大英帝国の教育改革を進行させており、日本の教育が国民教育の意義を認識させる格好の材料として取り上げられた。(2)アメリカでは、教育を進歩や発展の基盤として捉えようとするプラグマティズム思潮が強く、日本における教育の普及に強い関心が集まった。(3)フランスでは、日本の小学校就学率の高さを評価する一方で、アメリカをモデルにした日本の教育近代化への反感が見られた。 第二に、アジア諸国と日本との教育交渉史において、19世紀末に近代日本の教育が発見され、それはアジアの開国や近代化と強く結びついていたことがわかった。(1)朝鮮では、開国を主張する自修自強論者がアジアの伝統と異なる、日本教育への理解をいち早く示している。(2)清国では、一定の近代化を主張する変法自強運動側から日本の教育が高く評価された。(3)インドでは、イギリスモデルの植民地的学校制度への批判から日本教育への注目が集まった。 第三に日本では近代日本の教育に対する世界からの関心を傍観していたのではないことが判明した。文部省を中心にさまざまな手段で、欧米諸国に向けて日本の教育のいわば宣伝に努めていたのである。それは、日露戦争遂行とも関係があり、また、国際社会に文明日本が登場しようとする試みであったとも言える。
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