田園都市(ガーデン・サバーブ)に関する主要文献を網羅するリストを作成する作業と平行して、その基本理念について原テキストを丹念に再読する作業をまず行った。また、日本を含めて先進諸国において試みられた事例を、英国における展開(レッチワース、ウエルウイン)を軸に、フランス、ドイツ(ナチ)、オーストラリア、アメリカ、カナダの事例をまとめた。さらに、19世紀末から20世紀にかけて、植民地で活躍した建築家、都市計画家の仕事を明らかにする基礎的な文献収集を行った。 以上の基礎作業を元に、まず、(1)A.トンプソンとパインランズ(ケープ・タウン、南アフリカ)および(2)C.C.リードとミッチャム・ガーデン(コーネル・ライト・ガーデンアデレード、オーストラリア)を最初のケーススタディとして選定、その計画課程についての資料収集とともに、現地調査を行い、その評価をめぐって考察した。 二つの事例はいずれも、E.ハワードの基本理念に照らして必ずしもそれを具体化したものと評価はできない。端的に言って、田園都市というより田園郊外(ガーデン・サバーブ)が当初から目指されている。しかし、二つのプロジェクトは、その計画が構想されたコンテクストに関して極めて対照的である。パインランズの場合、アパルトヘイト体制下において擬似的な形であれ自律的なコミュニティを実現しているのである。ミッチャム・ガーデン計画は、E.ハワードが唯一現存する都市として言及したアデレードにおいて実践されるが、その課程は紆余曲折に満ちている。ただ、その結果として実現された環境は良好に維持されており、その維持システムなど郊外住宅地のあり方としては学ぶべきものは少なくない。
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