本研究は、田園都市計画の理念が発展途上地域(あるいは旧西欧植民地圏)においてどのように受容され、現実化されていったか、またその過程でどのようにその理念が変容(土着化)していったかを明らかにし、さらにその歴史的な評価、問題点、今後の展望について明らかにすることを目的としている。 まず。E.ハワードの著作を再読するとともに、日本を含めた先進諸国において試みられた事例を比較検討した。英国における展開(レッチワース、ウエルウイン)を軸に、フランス、ドイツ(ナチ)、オーストラリア、アメリカ、カナダの事例が中心である。それとともに田園都市に関する主要文献をほぼ網羅するリストを作成した。 続いて、発展途上地域(旧西欧植民地)における田園都市計画理念がどのように受容されたのか、どう実現されたのかについてアジア、アフリカについてその概要を明らかにした。視点としたのは、田園都市計画を具体的に展開した技術者・プランナーとその仕事である。A.トンプソンとパインランズ(ケープタウン)、H.ベーカーとプレトリア、P.ゲデスとインド、M.ポント、T.カールステンとインドネシア都市、W.マクリーンとハルツーム(スーダン)、アレキサンドリア(エジプト)、エルサレム、A.E.ミラムとボンベイ、ウガンダ、E.P.レチャーズとカルカッタ、シンガポール、R.H.ロウとゴールドコースト、ナイジェリア、H.V.ランチェスターとインド諸都市、C.C.リードと南オーストラリア、マラヤ、バーナムとバギオ、マニラなどである。 そして、ケープタウン(南アフリカ)のパインランズ、南オーストラリア、アデレードのコーネル・ライト・ガーデン、カルカッタのガーデン・ハウスが面的に建設されたチョウリンギー地区について、特にフィールド調査を元に詳細に検討を加えた。
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