三年間の研究の2年目である今年度は、ホロコーストのトラウマ記憶の精神分析に係わる論争のうち、特に、フランスに起こった「記憶の責務」(ドゥヴォワール・ド・メモワール)についての論争をめぐって考察を進めた。 フランスがヴィシー政権期にホロコーストに加担した社会的「記憶」は、歴史家アンリ・ルッソによって「ヴィシー・シンドローム」と名づけられたように、戦後フランス社会にとって、精神分析の対象になりうる「トラウマ記憶」となっている。この記憶と証言を抑圧し、否認しようとする言説が「否定論」(ネガショニスム)であり、これに対してその記憶の社会的継承の不可欠性を説くのが「記憶の責務」の言説であるが、近年フランスで起こった論争の特異性は、「記憶の責務」を説く加害者の側のフランス人(ジャン=フランソワ・フォルジュら)に対して、被害者側のユダヤ人(エンマ・シュニュールら)から批判が出ている点である。 両者の言説を詳細に分析した結果、対立は、「記憶の責務」の言説が紋切り型(クリシェ)となったことの問題点、ホロコーストという「倫理の崩壊」を示唆する出来事に「ヒューマニズム」の「倫理」を対置することの問題点など、多岐にわたるが、決定的な点として、「記憶の責務」を語りつづける限り、ユダヤ人が「永遠の受難者」となり、「喪の状態」に閉じ込められてしまうことへの被害者側の拒絶が作用している、という結論を得た。ジョルジュ・ベンスッサンのように、「シオニズムの勝利」を強調して「永遠の受難者」を拒否する場合も、類似の心的メカニズムが働いていると考えられる。 また、否定論的言説に共通する病理を、ドイツ型否定論と日本型否定論を比較分析することによって取り出した。
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