本研究は、ホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺)を素材として、歴史の中のトラウマ(心的外傷)の作用を精神分析理論の観点から分析し、歴史哲学・社会哲学に新たな地平を拓こうとした。具体的成果として3点を挙げる。1)ホロコーストの証言映画『ショアー』の解釈をめぐるS・フェルマンとD・ラカプラの対立を分析し、トラウマ的記憶からの回復において、行動化(アクティング・アウト)と徹底操作(ワーキング・スルー)とはラカプラの主張するように矛盾するものではなく、行動化が避けられるべきものでもなく、フロイトの理論を参照しても、「ショアー」の証言分析からしても、「行動化から徹底操作へ」という一連のプロセスとして捉えられるべきことを明らかにした。2)この結果を原理論として、フランスで「ヴィシー・シンドローム」と呼ばれるホロコーストの社会的記憶をめぐって生じた「記憶の責務」(ドゥヴォワール・ドゥ・メモワール)論争を分析した。その結果、被害者側のユダヤ人からも「記憶の責務」論への批判が出るのは、「記憶の責務」を語り続けるかぎり、ユダヤ人が「永遠の受難者」として「喪」の状態に閉じ込められてしまう逆説によることを解明した。3)フランスにおいてヴィシー政府の責任が90年代半ばに公的に認知された結果、「ヴィシー・シンドローム」に一応の快癒がもたらされたが、その過程でフランス社会のもう一つのトラウマ的記憶であるアルジェリア戦争における拷問の記憶の問題が浮上してくる。精神分析的に「抑圧されたものの回帰」と見なしうるこの現象を分析し、「ポストコロニアル」といわれる現代世界に取り付いたこの種の問題について歴史哲学的に議論するための手がかりを得た。
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