テクスト読解上困難の多いことで知られるスピノザの『神、人間とそのさいわいについての短論文』(以下『短論文』と略)について、原典写本のマイクロフィルムを入手し、写本を参照しながらのテクスト解読と諸版の校合という文献学的研究を行なった。従来から進めていた『短論文』の翻訳作業とも併行して、研究史の把握と諸解釈の批判的整理という基礎的研究にもとづいて、分析的読解を進めながら、『エチカ』、『知性改善論』との関係を探る哲学的研究を行なった。また、スピノザの初期哲学の形成過程という視野から、『短論文』の成立事情と時期、著述の原形態に関して歴史的な知識解明につとめた。その結果、おおよそ以下のような成果を得ることができた。 1.『短論文』が当初どのような作品として受けとめられていたかという点から、完成形態である『エチカ』との関係も含めて、この作品にまつわる歴史的な特殊事情をある程度明らかにすることができた。 2.現在スピノザ研究において、その初期哲学に特に注目されるようになっているが、そこには未完の『知性改善論』と『短論文』の先後関係という非常に大きな問題がある。しかしこの問題の歴史的な解明は哲学内容上の解明と切り離すことができない。そのことが、研究期間後半において主にたずさわった「真理」をめぐるスピノザの哲学の追跡を通して、具体的に明らかになった。特に、未完の『知性改善論』が、なぜ未完になったのかという点も含めて、スピノザの哲学形成を考える上で、重要な意義をもつという知見に至った。 3.付随的には、研究期間に、補助金によりオランダとイタリアに出張して、思想史的研究と歴史的・文献学的研究において主導的な位置を占める学者から研究課題に関してレビューを受けることができたのも、研究の幅と視野を広げる意味で、大変有意義であった。
|