平成13年度は行為や動機を「信念と欲求」へと分析する二元論的把握を支えているいくつかの前提を取り上げ、それを批判的に検討した。そしてその批判を通して、道徳的動機の場合、状況についての行為者の判断(知)が行為の動機を形成するのであり、そこに行為者のエートスが反映することを指摘し、ソクラテスの「徳とは知なり」という命題を擁護しようとこころみた。 その方法としてアリストテレスによるアクラシアの解釈を検討した。すなわち、ソクラテスの「徳とは知なり」というテーゼは「ひとは善と知って行わず悪と知りつつ行うということはありえない」というアクラシア(無抑制、意志の弱さ)の否定を含むように見えるが、しかし、他方、「我が欲するところの善はこれをなさず、かえって我が憎むところの悪はこれをなすなり」という思いは誰しも日常実感するところである。したがって、「アクラシアの否定」というソクラテスのパラドックスをどう解決するか、これがアリストテレスに残された課題であった。 このアクラシアについての20世紀の解釈の主流は近世の道徳哲学の前提を不用意にアリストテレスに適用し、アリストテレスが実践的知識やアクラシア問題で示そうとした真の意図を見失っているように思われる。その点を具体的に指摘し、「徳は知なり」というソクラテスのテーゼを明確にしょうとこころみた。
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