研究概要 |
本研究は,西洋哲学における伝統的な「存在」esseの意味について、現代の分析的存在論、現象学的存在論、認知科学の意味論など多角的な観点からの再検討を試みたものである。 加藤雅人は、esseの意味に関する中世哲学の原典と先行研究の収集と分析、また国内・海外の諸研究者との研究討議を通じて、以下のような新しい知見を獲得した。西洋後期中世の伝統的存在論は、20世紀のいわゆる「言語論的転回」以後の分析的な文脈において捉え直す必要がある。その出発点は、1960年代のギーチやケニー等の先駆的業績であった。彼らは、中世哲学の存在論の研究に、分析哲学におけるbe動詞の意味分析を応用し、多くの中世哲学研究者に影響を及ぼした。加藤は、その中でも重要なVeresとWeidemannの研究を取り上げ、両者の解釈が見落としている点を指摘することによって以下のような結論に至った。すなわち、アクィナスの「存在」esseの多様な意味を統一する意味論的視点は、"esse dupliciter dicitur"と言われる場合のesseの意味の二次元:significatumとres significataにある。他方、ヘンリクスの存在の「焦点的」な意味は、アクィナスとちがって、「現実存在」から「本質存在」へと移行していることを指摘した。 山本幾生は存在の区分と統一性の問題ならびに無の問題を近現代哲学の視点からアプローチし、存在の問題が近現代にあっては単に「現実存在」と「本質存在」との問題というよりも「人間の存在」と「事物の存在」の区別と統一性の問題として展開されざるをえなかったという、伝統的問題に対する新たな知見を獲得すると共に、近現代的視点からの再検討の重要性を指摘した。 林武文は、認知心理学的アプローチによって物体的存在の意味把握における知覚役割の実証研究を行った。
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