本研究の目的は、南宋中期における道学各学派の交流の現場を再現することである。 この課題遂行のために、この3年間で多くの資料を収集し、多くの思想家及びその交遊者、門人資料を抽出した。特に各道学系中心思想家を結びつけた呂祖謙学派の展開について分析した。 朱熹没後の南宋末までを射程にいれてその結果をいうと、以下のようなことになる。 北宋半ばに形成された道学は、国家と社会の統治を担う人々の「士」としての精神の自立を模索する思想として登場する。その思想は、新法党政権の北宋末、また程学系士人が排除された南宋初の秦檜政権の状勢を生き延び、「士」の心を鍛える自己修養の学という方向に向かう(二程初伝再伝三伝段階)。秦檜体制の終息後、科挙システムの中で、個と社会とのつながりを捉え、士の人生問題に応える社会性を持った思想としてこの道学が受けとめられ、この学の顕彰運動がなされて普及化の基礎を獲得する(呂祖謙ネットワーク段階)。さらに地域から離陸しようとする人々のみならず、士人の精神を支える言葉、多様な士人層の精神を支える言葉として受け入れられるようになる(朱熹以降)。こうして南宋半ば以降の広い意味での道学は、科挙システムに関わるレベルの士人からそうではない層までを含めて拡がりをみせ、秩序形成主体の裾野の拡がりに関わり、地域からの秩序意識を造るものとして機能し、王朝側はそのことで単なる上からの統治ではない地域からの秩序形成力を得ていく。宋代中国にとっての道学運動の意義はこうしたところにあったといえる。
|