本研究はインド仏教の伝統的聖典区分であり、かつ仏教研究の基本的枠組みとしても機能してきた「三蔵」、「大乗・小乗」などの概念を、近代の仏教研究方法を反省しつつ、大乗涅槃経、法華経などの代表的大乗経典と、初期仏教経典類とのテキスト比較研究を通して問い直した。結論として以下の視点が得られた。 (1)すでに与えられた現存資料が、「聖典化」canonizationという作業を被った後に残されたものに限定されている今、聖典化がいかなる関心の焦点に集約されているかを明らかにし、そのバイアスを考慮した上でなければ、たとえいかに客観的に資料を用いても、多くの点で偏向した結果は免れ得ない。事実、北伝資料と南伝資料とは、中国とスリランカという異なる文化に収め取られた聖典伝承であり、前者は制度と切り離された理念は多く反映し、後者は制度的な仏教を強く映し出している。 (2)現存の資料においては、大乗文献に説かれるブッダと、いわゆる小乗文献に説かれるブッダと、基本的には相違があるわけではなく、いずれも所謂「神格化」「神話化」を」被っている。近代の仏教研究は極端に歴史的ブッダ研究を目指したものに偏りすぎている。「初期経典の梵天勧請説話」と「法華経の方便品」とはその物語構造を共通に抱えており、大乗と小乗という分類が研究の障害となる好例の一つである。 今回の研究を通して、現代の仏教研究における資料への態度は、少なくとも上記の諸点を考慮に入れて見直すべき時期を迎えていることが明らかとなった。
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