研究概要 |
本年度は,VP3. 7. 9-15に基づきバルトリハリの<能力>の本質論を検討した. バルトリハリは<能成者>を次のように定義した. 「xがyを扶助するものであるとき,xはyに対する<能成者>である」(VP3.7.12cd) これは,<能力>|<実体>区別の立場と無区別の立場でそれぞれ次のように言い換えることができる. 区別論:「xはyが結果を生み出すのを扶助するとしよう.このとき<扶助者>であるxの扶助というダルマが<能力>と呼ばれる」 <行為>の実現を扶助するために,すなわち<行為>が自己の結果を実現するのを扶助するために<実体>は<因>となる.<実体>のもつこの<因性>というダルマが<能力>である.なお<能力>が基体である<実体>から区別されるのは,言語表現レベルにおいては不可避である(VP3. 7. 38,43).そして<因性>は<扶助者>において現実化している場合にのみ<能力>とみなされる.すなわち,具体的な因果の構造においてのみ<能力>とみなされる. 無区別論:「xはyが結果を生み出すのを扶助するとしよう.このとき<扶助者>であるxが<能力>と呼ばれる」 バルトリハリの形而上学では究極的<実体>としてのブラフマンに対して<能力>は独立した存在性をもたない.実はこれはバルトリハリの形而上学的<能力>観に通じるものである.xが<能力>と呼ばれるとき,yは<能力保持者>である. 以上より明らかとなるのは,<能力>が<実体>と別個のものであろうとなかろうと,<能力>の概念が成立するためには扶助されるものと扶助するものとの区別が常に前提されるということであり,<能力>の本質とは結果産出に対する<扶助>であるということである. また,<能力>の本来的な有り様は「能力」という語によっては表示されない.<能力>は,<属性>の定義に従う.
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