安居院の唱導資料には開祖の澄憲の編纂した『釈門秘鑰』や息子の聖覚が編纂した『言泉集』などが存在する。経典の解釈である経釈を主な研究対象として取り上げたが、現存する経釈は草本であり、経典の解釈用に最低限の情報を書き留めたものに過ぎず、実際の法会の場で用いられた唱導の全体の記録ではない。『最勝王経釈』や『寿命経釈』、『薬師経釈』などをその言説の根拠となる出典を中心に検討したが、ほぼ中国天台の祖になる智〓の著作に求められた。たとえば澄憲の『最勝王経釈』は、智〓には『金光明経釈』しか存在しないが、澄憲はこの『金光明経釈』を使用する。また『薬師経釈』には、日本の善珠の『薬師経疏』の利用されるが、智〓の著作である『法華玄義』や『法華文句』の言説も多用する。よって智〓の経疏が有る場合には、それを典拠とするという基本的姿勢が明らかになった。また、東大寺図書館所蔵『法華経釈』、石山寺所蔵『法華経釈』に注目したが、前者は三論系の『法華遊意』『法華義疏』に基づいた経釈であり、後者は天台系の注釈に基づいたものであった。日本の寺院に行われた唱導の経釈は、それぞれの寺の所属する宗に制約されることを天台、三論の場合であるが、実際に確認した。 また、経釈資料で頻繁に用いられる三門釈は、中国における講経の伝統から生じたものであることを指摘した。まず中国古典の「注」を淵源とし仏典に対する「注」が作成され、やがて5世紀初頭、竺道生の頃に成立したと思われる仏典の「疏」の形式がこの三門釈に繋がると考えられる。その嚆矢として道生の『法華経疏』を指摘できる。また日本の法会の場に登場する講師・読師は、中国の講師・都講の伝統を受けたものであり、特に中世の時代の読師は奈良時代の複師の伝統を混入させたものであろうと推定できた。
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