本研究の目的は、宗教的な「救済」と科学的な「医療」の双方を包括するような概念としての「癒し」に着目し、その「癒し」の思想や意味を特に人体観や呼吸との関連の中で考察することを通して、宗教と科学(特に医学)の相互関係を解明するとともに、人類の新たな世界観の提示に結びつくような認識地平を開拓することにあった。学問的方法や知の内容に関して、宗教学と自然科学(医学)との間に大きな乖離が存在することは否定できないが、本研究では、その双方の学問領域の研究成果を統合化するための予備的作業として、まず宗教と科学における自然観や人間観の相違を可能な限り明確に浮き彫りにすることに努めた。その作業を通して、少なくとも次の三点が確認されたと思われる。 1.宗教団体やニューエイジ共同体で実践されている「癒しの業(浄霊)」や「自然農法・有機農法」には現代自然科学(医学を含む)の知と技術の体系には包摂しきれない存在の深みの次元-哲学的宗教的には存在根拠や生命の根源と呼ばれる-への顧慮がある。 2.その深みの次元に対する考察の射程を持たない自然科学の有効性と限界を承知しておく必要がある。 3.自然科学の知見と精神科学(哲学や宗教学を含む)の知見とを統合するための視点の一つが、物質と精神を結ぶ、あるいは体と心を結ぶ「生命」に固有の次元を捉える視点と重なると考えられる。 以上の研究成果を受けて、われわれは、呼吸や人体の構造などに現れた「生命」現象を探求するための手掛りが、生物固有の「波動」(ベルクソンの「持続」に近い)概念の解明にあることを示唆した。この探求が切り開く地平には、世界および人間の存在構造全体を見渡しうるような地点が用意されていよう。
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