時間感覚と空間感覚に関して蒐集した300の作文資料(有意味写真版 家内祭壇と教会祭壇の祈りの場面への反応内容)を、言語分析プログラムを使用して分析した。 家庭祭壇と教会祭壇の価値づけが異なっている。前者は聖像が起こす奇跡と結びつき、後者は主の生き方との対比における悔い改めと結びつく。洞窟やセイバの木にようなマヤ的な空間と教会を中心とするカトリック的な空間への価値づけも異なっている。前者は神々(k'in)や悪魔(Shita bai)の住居と位置づけられ、神とイエスの身体である教会とは顕著に区別されている。また、雨乞いの儀礼には五方と五方神の思考が残存している。古い象徴が人々の具体的生活の中に現実に固着して存続変容している一側面である。 他方、マニの人々は、住居空間-私有地-共有地(エヒード ejido)という空間感覚をもつが、この思考は現代の革命によって引き起こされた新しい思考である。 マニの社会構造の中心は擬制的親子関係である。擬制的親子関係は、母方の親族集団とも父方の親族集団とも結びつき、コミュニティーを越えた広範な友人・知人集団を、強い社会経済的および情緒的な結合に統合する。また、擬制的親子関係にある間柄では性関係が厳格に禁止されている。 教会史料にもとづいて、姓を指標とする通婚の様態の分析すると、マヤ系内での通婚とメスティーソ系内婚の傾向が見い出された。また、マヤ系の人々は、村落内でメスティーソと居住地域を別にしつつ、村落の祝祭を16世紀以来引き受けてきている。 駆け落ち婚(pudz)を有意味写真への反応から分析すると、それは後悔と罪深さとしてとらえられている。しかし、現実には6割強の人々が、貧困とマヤの慣習から、駆け落ち婚を行っている。
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