研究概要 |
倫理の中心的概念である「自然」「自由」「責任」概念を思想史的に考察することから、倫理の存在論的基礎付けを試みた。1)自然は、"physis","natura","creatio"としてわれわれに対して姿を現し、語られるものであるということが明らかとなり、それぞれの特徴について考察した。2)自由の概念については、ヤスパースの実存的自由とハイデッガーの存在論的自由の比較を思想史的にたどった。二人が基礎を置くシェリングに遡りながら、相違について考察した。3)「自由」の概念を倫理の根底においた場合、「自由」と「自然」を如何にして両立させるかが問題となる。カントは、自然の「合目的性」という概念を導入し、自然と自由を超越論的に両立させることを試みた。一方、ヨナスは自然存在の「有目的性Zweckhaftigkeit」という概念で存在論的に基礎づけている。4)責任の概念は、15世紀後半に登場し、19世紀後半頻繁に用いられ、20世紀に倫理学の鍵カテゴリーとなった。しかし、その起源は古く、「裁判官の前である事柄の弁護をすること」の意味で、すなわち法的生活にその所在地を持つ。また、この根本的に法的な責任imputatioは神の前で説明するという意味で、すでに旧約聖書において現れ出る。5)現代的責任の概念は、近代の道徳の原理、「良心」の病理化とともに生じた。良心が内面化していく一方、価値真空状態のなかで、規範が模索される。6)責任は多義的な関係概念である。誰かが、何かについて、誰かに対して、ある審級の前で、ある基準に関して、枠のなかで、責任するということである。責任のさまざまな種類は、「何に対して」という観点からは、社会的責任、宗教的責任、個人責任と分けられるし、行為の結果責任、役割・課題責任、道徳的責任、法的責任、共同責任に区分される。7)非人間的なシステム社会において、共同責任はいかにして基礎づけられるのか、存在論的にか、人間論的にか、が残された課題である。
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