研究課題/領域番号 |
11610035
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研究機関 | 三重大学 |
研究代表者 |
遠山 敦 三重大学, 人文学部, 助教授 (70212066)
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研究分担者 |
片倉 望 三重大学, 人文学部, 教授 (70194769)
山岡 悦郎 三重大学, 人文学部, 教授 (90115741)
伊東 祐之 三重大学, 人文学部, 教授 (50011359)
桑原 直己 筑波大学, 哲学思想学系, 助教授 (20178156)
斉藤 明 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 教授 (80170489)
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キーワード | 情 / pathos(passion,Leidenschaft) / 道徳感情 / 理 / Logos |
研究概要 |
本研究は東西を問わずさまざまな形で論じられてきた人間存在における「情」に関し、その構造と倫理的意義とを明らかにしようとするものである。研究2年目にあたる平成12年度は、初年度から引き続き研究分担者がそれぞれの専門領域の立場から固有の「情」概念の特質ならびにその構造について個別の研究発表を行うとともに、さらにそれらを踏まえ、そこに通底するより一般的な問題構造の摘出に努めた。それを通じて得られた新たな知見あるいは問題意識として、主に以下を挙げることができる。 1.倫理判断は、事実判断と異なり真理値を持った認識的に有意味な判断とは見なされない。そこで問題となるのは判断者と対象との関係なのであり、それはある対象に対する判断者の「態度の表明」であって、従ってまたそこに情(感情、情動)が重要な役割を果たすことになる。だがさらに、一般に判断・思考が究極的に「誰かにとっての意味」を考えるものであるとすれば、情は判断・思考一般の中に分離しがたく存在し、そこにおいて悟性・理性と同等の権利を主張することが当然認められなければならない。 2.「欲なる者は情の応なり」(『荀子』)に見られるように、中国古代哲学において情は欲望の発動源とされ、従ってまた心のみならず身体各部位に宿りそれらと密接な関係を持つものと考えられていた。情の定位に関して、こうした思考が現在の心身論との関係でどのように位置づけられるべきか、欲望と情との関わりのあり方を含めて検討されなければならない。 3.仏教における情は解脱の疎外因あると同時に、「慈悲」のように解脱の獲得に対して寄与するものとも捉えられる。passioを無条件的に悪とするストア派的伝統をふまえつつ「憐憫」misericordiaを積極的に意義づけようとしたアウグスティヌス、さらに「神の憐憫」を展開するトマス・アクィナスとの位置づけの異同が検討されるべきである。
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