前年度から引続き、本年度も事例研究として、そして「歴史-文脈的アプローチ」の一環として、X線画像をはじめとする人間のからだに適用される画像技術の歴史・受容などについて調査考察を行った。その作業を通じて明らかになったのは以下の事柄である。 1)人間のからだに直接関係する倫理的な場面である医学医療においては、いわゆる専門家による画像の囲い込みとともに画像の使用が普及していった。 2)これによって人間のからだの内部は、一般の人々にとっては一層外部的な遠いものとなり、囲い込まれることによっていわば存在しないものとなった。もし内部にこそ真理があるとすれば、一般の人々にとって真理はとどかないものになったのである。 3)美術作品や映像作品を通じて明らかであるが、からだの内部を外に引き出すこうした画像は、現代の人間のからだイメージに変化をもたらしており、なおかつそれは特に女性のからだについて著しい。 しかし、画像はあくまでも画像である。写真について優れた哲学的考察を行ったドイツの哲学者ヴィレム・フルッサーの言うように、画像は画像そのものの外にある現実の複写、いわゆる「凍った現実」ではない。それは解読されるべきものである。 この「解読」ということをわれわれがどこまで行えるか、そして、X線画像をはじめとする画像技術の中に入り込み、その技術がもっているさまざまの可能性をみずからどこまで試すことができるか、これによっておそらく、われわれがみずからのからだをどうイメージできるかが左右される。
|