本研究は、荻生徂徠の学統の地方的展開とその思想史的意義の解明を目的とした研究であり、その端緒として福島県伊達郡保原町・伊達町・桑折町に居住した知識人たちを取り上げた。当該地域は、徂徠学派に属す熊阪台州が地域の知識人層を糾合したところであり、その活動はこの地域のみならず江戸や京都、名古屋などとの地域的なつながりを持った。一方、台州のもとに集った知識人は、豪農、医者、僧侶、零細な農民など諸階層を含むもので、徂徠学は彼らの基礎的教養の形成に大きく機能した。その結果、彼らの語彙や思想は均質化・共通化し、国内各地とのネットワーク形成も、そうした共通の思想と言語によって確保された。ところが、寛政改革以後、この地域の思想に変化が生じ、徂徠学以外の様々な思想的な要素が入り込み、前代に地域の学問者糾合の靭帯として機能していた徂徠学は、逆に思想状況の分節化を促す触媒の役割を果たした。 上記の本研究担当者の、この地域の思想状況についての俯瞰図をより明晰なものとすることが本研究の目的であった。その目的に沿って平成11年度は、次のような調査と研究の実施した。(1)熊阪台州周辺の学術的な営みについて、福島県立図書館、保原町歴史文化資料館などでの文献調査・実地調査を行った。その結果、この地域の歴史的・文化的な背景、人的交流のネットワークの概要が明らかになりつつある。(2)本年度の研究は、文献調査を中心としたものであり、既知の史料の蒐集と新史料の入手に重きを置き、台州の旧蔵書の発見にこころがけ、図書の流れのいくつかについての知見を得た。そして、その知見に沿って今後の調査の方針を設定した。(3)これに対して、台州門人の冨田以孝の旧蔵書については、子孫の協力のもとに調査がなったことによって、その全容の解明が可能となった。旧蔵書目録の作成はほぼ完了したので、公表を予定している。(4)本研究の意義を高めるため調査対象を拡大し、神奈川県、山口県、京都府等での調査を行い、比較研究の視座を得ようとしたが、調査途上にあり所期の成果は得られていない。今後に期したい。
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