本研究は、従来-国史の視点から考察されてきたナショナリズム発生の問題を、中国中心の世界像(中華主義的世界像)の内部に共有された日本や朝鮮の「自国意識」から、ナショナリズムの時代へ突入する問題として考察することを企図したものである。 さらに本研究は、山崎闇斎学派にナショナリズムの淵源を見る研究上の今日までの「常識」を覆すと同時に(すなわち18世紀の自国意識」とナショナリズムの相違を析出すると同時に)、儒教がどのような再編成を経てナショナルなものへと変貌するのかを、近世後期の問題として提起し直すことが目指された。 特に、ナショナリズムの研究は近代が中心であり、せいぜい国学以後が研究対象とされてきた。近世の儒教が、どのような自己像を形成したのか、またそれはナショナリズムとどう異なるのか、の検討は従来の研究では不十分である。むしろナショナリズムとは異なる「江戸」の「自国意識」を取り出すことによって、近代ナショナリズムの特徴もまた一層鮮明になるはずである。ナショナリズムの淵源としての「江戸」ではなく、ナショナリズムの他者として「江戸」を捉えることで、従来の研究とは異なる視角からの研究を目指した。 具体的には、近世の山崎闇斎とその門人の思想を取り上げることを中心にしながら、またもう一方では、現在進行形のナショナリズムヘの批判的視座を確保しながら、研究を行った。
|