最近の日本思想史研究で、方法的視点として注目されているものとして、国民国家論がある。すなわち、一国的境界に仕切られた、それ自身近代の産物に他ならない領域の内部の固有性を過去に遡って自明視しつつ記述する一国思想史学こそが、実はナショナリズムを言説・学問上に構成する強力なイデオロギー装置の一つであったこと俎上に載せられ、告発されているのである。国民国家論の提示している問題は、戦後思想史学がその土台に埋め込んできた枠組み、「日本固有の思想史」の実在、思想文献に論理的に妥当な解釈を施すことで思想史の記述が可能となるという方法を、根底から揺さぶっている。だが、確かに徳川時代までは、日本国家を自明なものとして、その固有の歴史を記述するということは基本的にはなかったといえる。徳川時代の知識人に欠けている認識は、日本の固有性・特殊性という認識である。無論、一七世紀の明清王朝交代という大事件によって、中華と夷狄をめぐる構造的変動に関わっての「自己」認識が、例えば山崎闇斎学派などでは開始されている。だが、それも中華文明圏内での普遍的文明を前提とした優劣の議論であって、固有性やましてや排他的特殊性が問題とされているわけではない。固有性や特殊性についての認識は、中華文明圏の最終的解体を促した西洋帝国との蝦夷地などでの遭遇によって開始されたのであり、具体的には宣長学・幕末国学・経世論・水戸学などの対外認識に胚胎するのである。これを受けて、近代に形成された日本思想史学は、一国思想史の扱う地理的領域の固有性を前提し、ついでその閉域での国民性の特質、人種・民族の、思想的特性を太古に遡って記述する。それは、同じく西洋から輸入された歴史学・人類学や哲学・倫理学などを援用しながら、西洋国民国家を基準とし、中国を差異化しそれとの異質性を強調して日本の固有性を記述するという技法を用いる。この技法こそが、実は近現代日本の思想・学術の視点と方法を根底的に規定してきたのである。
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