本年度はこれまで単に歌詞から戦況や心情を言及するだけの研究のなかった昭和の軍歌・軍国歌謡を成立事情、旋律、編曲、歌手のボーカル、受容などの面から分析した。明治の軍歌と違って、この時期には音楽産業が発展し、商業的な歌と変わらないルートで普及された。十五年戦争中、マスメディアが総動員されたが、新聞や雑誌社が国策の歌を募集する形態が増え、「肉弾三勇士の歌」「父よあなたは強かった」「太平洋行進曲」「露営の歌」などが生まれた。旋律的には明治と同じようにヨナ抜き長音階・短音階がたいていは使われていたが、「日の丸行進曲」や「麦と兵隊」のように俗謡の節回しを用いたために、より深く大衆に浸透したものもあった。勇壮な歌よりも悲壮な歌が好まれた。国策に沿った歌であればあるほど、西洋的な発声の歌手が活躍したが、大衆に浸透するには、ベルカント唱法を巧みに学校唱歌の発声に近づける必要があった。東海林太郎や上原敏のように股旅小唄と軍国歌謡の両方に秀でた歌手もいた。股旅小唄の流浪や孤独や別離のテーマは、家族と別れる将兵や銃後の家族の心情を映していた。また同時期の芸者も、歌詞さえ入れ替えれば、平時の流行歌になるような軍国歌謡を伝統的な発声で歌った。戦時にもかかわらず、平時との連続性が保たれていたことを各方面から証明することができた。 また兵隊ぶしと通称される替え歌についての調査を開始した。同時代の資料にはあまり残っていないが、戦後の回想にはよく表れ、将兵も含めた国民が必ずしも国家が打ち出すスローガンを信じていたわけではなく、微力ではあったが、抵抗を示していたことが、厭戦的な歌詞、茶化したような歌詞、春歌から知ることができる。
|