日本美術史の範囲は広く、その業績は膨大である。そこで、室町時代の水墨画を代表する雪舟を取り上げ、彼についての言説を分析することに範囲を限定した。室町時代の同時代史料、江戸時代の画史画論書に分析の対象を求めた。その時、『探幽縮図』や画譜の「編集」も検討の範囲に含めた。しかし、明治時代以降の文献は後日に竢つ他はなかった。 その結果、次のような雪舟像の変遷を確認することができた。室町時代の「山水画家である雪舟」から桃山時代以降の「道釈人物画家である雪舟」へ変化し、再び江戸時代後期には「山水画家である雪舟」として雪舟は語られてきた。しかし、再生した「山水画家である雪舟」は、明らかに室町時代の雪舟像とは別なる「山水画家」として語られている。こうした変化は、雪舟を語る人たちの階層や立場の違いがもたらしたものである。画家が雪舟を語るのか、あるいは鑑賞者が雪舟を語るのかという差であったり、雪舟画を鑑賞する受容層の違いなどである。その雪舟像の変遷に次のようなことを読みとった。 1)室町時代の「山水画家である雪舟像」に、雪舟は「画家」としての自己の自立を語り、禅僧たちは「理想郷の体験者」としての雪舟を語った。 2)『探幽縮図』や江戸時代画史画論書に見いだされる「道釈人物画家である雪舟」は武家へと受容者の趣味が移行した結果と考えられる。江戸時代、雪舟は「画家の代表者」として存在した。雪舟作品を所蔵していることを誇示する動向を読みとることができる。 3)文人画が台頭するに伴って、雪舟についての言説は変化した。「山水画家である雪舟」は、狩野派の「俗」に対して、「雅」なる存在として高く評価されることになった。文人画家たちは、自分たちの理想として雪舟を語った。雪舟は理想的に「画業を達成した画家」して語られることになった。
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