日本において、「芸術家」という用語と「芸術家」のイメージが、(1)いつ、(2)どのような過程を経て、(3)どのような性格をもつものとして一般的に流通するようになり、(4)なぜ流通しなければならなかったかを、「美術」に関するさまざまな言説-伝説・説話・伝記・評論-を分析することによって明らかにすることが本研究の目的である。 平成12年度は、「芸術家」という近代に固有の絵画制作者イメージの特徴を際だたせるために、多様な文献(説話集/画人伝/人名録/美術史)に記された絵画制作者のうち、近世に属する制作者-「浮世絵師」-のイメージに的を絞り、彼らについて語る《トポス》-反復して使用される《語句(決まり文句)》や《逸話(物語)》-を分析した。その結果、次のことが判明した。 1.浮世絵師自身による数少ない浮世絵論である渓斎英泉「大和絵師浮世絵の考」(『無名翁随筆』、天保四年[1833])によれば、「浮世絵」とは「大和絵」からの「分流」であり、「浮世絵師」もまた土佐や狩野の絵師と同様「真を写すを本意」とする画の功をもって世に貢献する「大和絵師」とみなされていた。そして、このような考え方は画人伝のレヴェルにおいて、固有の表象として結晶する。 2.前者-大和絵からの分流-は、例えば、岩佐又兵衛の「土佐流からの破門」、英一蝶の「町絵としての分流」というエピソードとして反復される。 3.後者-真を写すを本意とする-は、英一蝶の「将軍の秘事を描くことに起因する流罪」、橘守国の「狩野派の粉本を出版することに起因する[仲間の絵師から]非難」、西川祐信の「大内の隠し事を描くことに起因する御咎」など、「秘密を暴露することによって処罰される」というトポスを形成する。
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