日本において、「芸術家」という用語と「芸術家」のイメージが、(1)いつ、(2)どのような過程を経て、(3)どのような性格をもつものとして一般的に流通するようになり、(4)なぜ流通しなければならなかったかを、「美術」に関するさまざまな言説-伝説・説話・伝記・評論-を分析することによって明らかにすることが本研究の目的である。 平成13年度は、「芸術家」という近代に固有の絵画制作者イメージを構成する《トポス(topos)》-反復して使用される《語句(決まり文句)》や《逸話(物語)》-を分析することによって、次のことを明らかにした。 (1)時期:「芸術家」という用語が「画家」や「美術家」という用語-視覚芸術としての「美術」の専門家-と重なりあいながらも、微妙に区別される形で使用され始めたのは1900年代に入ってからのことである。 (2)経過:「芸術家」という用語は、美術ジャーナリズムの世界-例えば『明星』(1900年創刊)、『美術新報』(1902年創刊)、『白樺』(1910年創刊)など-において、西洋の主として後期印象派の制作者たちを指示するために使用され始めた。彼ら西洋の画家が特定のトポスを用いて語られることのなかで、「芸術家」イメージが醸成されていった。 (3)特徴:「芸術家」イメージは、《伝統破壊》《内的世界と外的世界との分裂(人生の苦悩・孤独)》《無理解な大衆との確執》《天才》《変人》《真理探究の殉教者》《死後評価》といったトポスの束として練り上げられた。 (4)意義:そのようなトポスが反復されることによって形成された「芸術家」イメージは、近代日本-西洋化を経験した国民国家-が絵画制作者に課した社会的役割(あるいは絵画に対して期待したメディア機能)-具体的には「自己」「発見」「個性」「表現」といった概念に集約される役割/機能-を反映している。
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