研究課題/領域番号 |
11610060
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研究機関 | 成城大学 |
研究代表者 |
東山 健吾 成城大学, 文芸学部, 教授 (70119361)
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研究分担者 |
小澤 正人 成城大学, 短期大学部, 助教授 (00257205)
八木 春生 筑波大学, 芸術学系, 講師 (90261792)
清水 眞澄 成城大学, 短期大学部, 教授 (30124514)
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キーワード | 中国南北朝時代 / 仏教美術史 / 石窟 |
研究概要 |
本研究では河西石窟群について(1)編年(2)周辺地域との関係、といった観点から検討をおこなった。編年では河西石窟群をその様式から2時期に分類した。第1期は天悌山石窟第1・4窟が、これに続く第2期には金塔寺石窟、文殊山石窟前山千仏洞・前山万仏洞・後山千仏洞、馬蹄寺石窟などが該当する。河西石窟群第2期諸窟には雲岡石窟第16・17窟と類似する要素が多くあることから、両者は時期的にほぼ平行すると考えられ、470年以降との年代を与えることができる。第1期は資料が少なくいためなお検討の余地があるが、一応470年以前と考えておきたい。周辺地域との関係については、河西石窟群第2期諸窟と雲岡石窟16・17窟の共通点の祖形がキジル石窟など西域諸窟に求められることから、河西石窟群が雲岡石窟や西域と交流をもっていたことが確認できた。さらに詳細に検討すると、河西石窟群第2期諸窟の方が雲岡石窟第16・17窟よりも西域の形式に近いことから、西域の情報は基本的に河西石窟群を経由して雲岡石窟へと伝えられたことが明確になった。また逆に雲岡石窟第16窟で創出された特殊な形式を河西石窟群で見出すこともでき、雲岡石窟から河西石窟群へと情報が伝わった場合があったことも確認できた。 本研究により河西石窟群の編年が確立され、これまで漠然と「北涼時代」とされてきた河西石窟群の中には北魏時代(雲岡石窟第二期諸窟併行)に属す窟のあることが明らかになった。また河西石窟群が西域の仏教美術に関する情報を中国に伝える役割を果たすと共に、中国からの情報を受けていたことも明確になり、河西回廊という特殊な地理環境に立地した河西石窟群の特質を明らかにすることができた。そしてこれは、雲岡石窟様式の成立に河西石窟群が大きな役割を果たしたことだけでなく、雲岡石窟様式が北魏前期の統一様式として、北朝の領域各地へと広がっていく様子を示している。
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