小学校5年生10クラスを対象に、科学教育の分野での生物進化(サルの手足の親指とそれ以外の指の対向性)をとりあげ、学級全体での討論・議論による理解活動を検討した。このさい、それぞれの個人が、学級討論での優勢な議論をどれほどよく理解・記憶し、かつそれを自分自身の題材の理解や予測・解法の発見などの問題解決のためにどれほど利用するかという観点から分析を行った。学級討論がいかに推移したかや、そこにおける優勢な議論がどんなものだったかは、かなりよく保持されていた。また、そのような議論は、それが本人の最終的な信念と一貫するかぎり、なんらかの形で取り入れられることが多かった。同一の題材についての個人および二者関係における理解活動の詳細な分析は、現在進行中であるが、学級討論での理解活動が与えられた選択肢を超えて発展することは稀だった。ただし、有力な選択肢の比較という限りでは、分析的探査および類推による探査などの理解活動が認められる。 並行して、二者による共同創作(具体的にはよく知っている旋律の編曲)を通じての題材および相手の心的状態の理解の詳細な分析を、数例にに関して行なった。この被験者は文系短大生である。彼らは、多くの場合、相手の心的状態に敏感で、このためかえって自分の提案した新鮮な着想が生かされないこともしばしば観察された。共同創作の社会的な側面については満足度が高いが、課題志向的側面については分散が大きく、また、社会的な側面についての満足度とほとんど相関していない。自他の認知貢献の知覚が満足度に関係することは確かだが、相手が貢献していないしつつも、高い満足度を示す事例もある。いいかえると、共同理解活動には、もちろん認知的、動機づけ的な促進効果がみられるが、同時にそれなりのコストが払われていることが明らかである。
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