本研究は1789年8月の「人間と市民の権利の宣言」の成立に先だって議会の内外で公表された多数の宣言草案のテクストと、議会における審議の記録を読み解くことをとおして、フランス革命によってもたらされた新しい社会のなかで、「市民」とその社会的条件がどのようなものとして構想されていたかを検討しようとした。多くの草案のなかで、また確定宣言でも表明されているのは、まず自由で平等な個人を基本的単位とした社会の像である。だがこの「自由」は、とりわけ信教の自由や思想の自由をめぐる議論から明らかになるとおり、自由を肯定し保証するための「権威」を必要としており、また市民の自立は他者への依存と裏表の関係にあるものとして認識される必要があるという、ある種の論理的矛盾をふくむものであった。人間の権利のみならず「義務」もまた宣言しなければならないとする草案や議論がしばしば登場してくることは、この自律と依存のアンチノミーを具体的に示すものであるといえよう。こうした言説に内在する論理的な矛盾に加えて、8月からはじまった議会の審議では、革命が先鋭化し(バスティーユ襲撃、大恐怖の拡大、封建制の廃止)、党派的対立が明確になる(王政派と愛国派への分裂)といった外的状況も絡んで、さまざまな思惑が絡み、大胆な発言と逡巡や戸惑いが交錯し、妥協の結果としてきわめて抽象的な条文が次々と確定されていくことになる。また、公的扶助などいくつもの重要な問題が採りあげられないままに、宣言よりも先に憲法自体の作成を急ぐことを理由に審議は途中でうち切られてしまった。今日残されている権利の宣言は実は「未完」の宣言なのである。こうして言説が展開されるさいの論理的な矛盾と実践上の曖昧さは、この宣言が指示するはずの新しい社会における市民の概念にたいしても、少なからぬ問題を残すことになるのである。
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