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1999 年度 実績報告書

東欧の体制変動と民族問題

研究課題

研究課題/領域番号 11610182
研究機関広島大学

研究代表者

材木 和雄  広島大学, 総合科学部, 助教授 (70215929)

キーワードユーゴスラヴィア / クロアチア人 / セルビア人 / ムスリム人
研究概要

今年度はユーゴの民族問題について、近年以前の期間に積み重なった事実を明らかにすることに重点をおいて研究を進めた。その結果得られた重要な知見は次のとおりである。
1.意外なことに、クロアチア人とセルビア人はもともとはスラヴ人ではなかった。最近の研究によると、彼らは、元来は黒海北岸ないしカフカズ地方に住むイラン系の部族であった。彼らは6世紀にモンゴル系の遊牧騎馬民族アヴァール人に従って西方に移動し、さらにアヴァール人がスラヴ人を征服して西進する過程で人口数の多いスラヴ人に同化され、バルカン半島に出現したときには完全にスラブ化されていた。
2.クロアチア人とセルビア人は7世紀にバルカン半島に定住したが、彼らはバルカン半島に到来したスラヴ人の中では最後のグループであった。スラヴ人は6世紀にバルカン半島に出現していたので、クロアチア人やセルビア人の部族に属さない先住のスラヴ人の部族が多数あった。7-8世紀までのスラヴ人は部族ごとに割拠した生活を送り、民族的に未分化の状態にあった。その中でクロアチア人とセルビア人は諸部族を統合して中世に国家を形成し、後世に民族の伝統を残すことになった。
3.ボスニア・ヘルツェゴヴィナはクロアチアとセルビアの中間にあり、もともとクロアチア人にもセルビア人の部族にも属さないスラヴ人が居住していた。ボスニアは、中世には独立国家を形成し、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの人びとは後世にボスニア人の民族意識を獲得する可能性があった。しかしオスマン・トルコに征服され、その管理政策によって、ボスニアの住民は宗教によって異なったコミュニティに分断された。そして、19世紀以降、クロアチアやセルビアの民族主義が高まる中で、カトリック教徒はクロアチア人に、正教徒はセルビア人に、イスラム教徒はムスリム人に民族分化していくことになった。

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公開日: 2001-10-23   更新日: 2016-04-21  

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