本研究は、東欧諸国の中でユーゴスラヴィアの経済改革と労務管理の変化に焦点を当て、とくに「労働者自主管理制度」の意義を考察した。その概略は以下の通りである。 第二次世界大戦後、チトーの率いる共産党が奇跡的にユーゴを再統一し、ソ連を模範に社会主義経済化を進めた。しかし、その後ソ連と対立することになり、チトーイズムと呼ばれる独自の社会主義路線をユーゴは採ることになった。これにより登場したのが、企業経営を労働者が行うという「労働者自主管理制度」である。これは、企業の労働者集団が選挙によって「労働者評議会」のメンバーを選び、さらに労働者評議会は経営者を任命して、経営の監督にあたるというものである。 この制度の意義として、労働者の企業に対する帰属意識を高め、勤労意欲を向上させたこと、また労働者がいわば実物教育で経営実務を学んだという「教育的効果」がある。このような成果によって、この制度は国際的にも大きな関心を集めたが、1980年代にはいると、経営効率の悪さが問題になった。 なかでも最大の問題は、労働生産性を上回る過剰な所得の分配が行われた点である。所得を分配する権利が労働者にあったため、企業の労働者集団は、利益を内部留保し設備投資に回すことよりも個人所得として分配する傾向があった。しかし、企業の設備投資の意欲は旺盛であり、企業は銀行からの借り入れによって投資資金を賄ってきた。銀行の融資資金の原資は外国からの借り入れ資金であった。設備投資により、生産性が向上し、それにより個人所得が引き上げられるという好循環が続いた時期は短く、やがて歯車が狂い始めた。対外債務の増加は為替レートの下落をもたらし、また苦し紛れの通貨供給の増加はインフレーションを引き起こし、80年代後半にはユーゴ経済は完全に破綻した。東欧革命の影響もあり、共産党の一党独裁体制は解体し、社会主義体制も崩壊した。そして、この混乱のなかで民族主義が台頭して、ユーゴスラヴィアという国家の枠組さえ解体してしまった。 しかし、失敗したとはいえ、ユーゴの「労働者自主管理制度」は世界史に残る壮大な実験であった。
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