本研究の目的は、確たる将来を見通せない日本農業の担い手像を、社会学の立場から一つの論点に絞って考察しようとするももである。その論点とは、農業・農村の担い手を個人(個別農家)に求めるか集団(農家の集合体あるいは集落など。さらには法人体)に求めるかということである。申請者の立場は、後者に重点を置きながら、前者との調整を図るという点にある。しかし、その構想は論理的にも政策的にも首肯されてはいるものの、現実には遅々として進展しない。それを規定するのは何か。これを主として家(イエ)と村(ムラ)という日本農村の伝統的集団との関連から解明しようするのが本研究の目的である。 そのためにいくつかのフィールドでの調査を実施し、そこで得られた資料についての分析と考察の結果を、以下のような暫定的な知見としてまとめた。 (1)多くの農家は、個別経営の限界も集団化の有効性・必要性を理解している。 (2)しかし、集団化により、独立してきたイエがその自立性と個別性(所有と経営)を失い、集団の中に溶解していくことに対する根強い躊躇感と抵抗感がある。 (3)その大きな理由は、ムラの成員としての重要な資格として自ら農業経営を行っているという要件があると考えられていることである。 (4)それと併行して、イエにおける所有と経営の一体性こそに独立したイエ(所有と経営の一体性)の存在理由があるという伝統的な観念がある。 (5)また、集団化・法人化を主張し実現しようするリーダーに対する不信感が少なくない。その理由は、それを実現しようとするリーダーが自身の個別利益を得るための行為であり、そのために自分たちが利用されているとみなす不信感がある。 (6)そこには、ムラの中でのイエの平等性を尊重しようとする意識が働いている。 (7)これらの要因が複雑にせめぎ合い絡み合いながら、集団化と法人化の行く方を規定している。
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