近代日本の国家体制の形成・確立期において、良妻賢母教育が浸透し同時に家族国家観が彫琢されていく一方、「新しい女」と呼ばれる、当時の伝統的家族様式や女性性の規範に異を唱える女性たちが出現した。これまでの諸研究では「新しい女」たちはもっぱら日本の文脈でのみ捉えられ、その革新性やラディカルさが強調されてきたが、本研究ではこれに対し、以下のことを明らかにした。 (1)「良妻賢母」主義に基づく女子中等教育は、産業化の中で現れつつあった中産階級の女性たちに国民を産み育てる母となり自身も国民となることを期待する、近代国家における女性の地位向上を図るものでもあった。それは「新しい女」たちの志向と矛盾するものではなく、しかも「新しい女」たちはその大半が女子中等教育の進展から生まれた人々であることを考慮すれば、「新しい女」は「良妻賢母」と相反するというよりむしろ表裏一体の存在であったと言える。 (2)「新しい女」現象は、日本のみならず、19世紀後半から20世紀初頭の欧米(中欧・南欧を含む)、オーストラリア、韓国・中国・台湾の東アジアにも拡がった。それぞれの地域でどのような点を捉えて「新しい女」としてクローズアップされたかには違いがあるが、急速な産業化の中で社会構造や価値規範の変動の中で人々の抱いていた不安や危機感を象徴するスケープゴートとして、「新しい女」が逸脱のシンボルとみなされたことは共通している。 (3)アメリカや韓国の「新しい女」と比較すればとくに、日本の「新しい女」たちには社会経済的資源が限定されており、政治・経済上の地位達成を望むことはできなかった。そのために日本の新しい女たちは、異性との恋愛や家族形成といった私的領域での自由をと自己実現を追求することに関心を集中させることとなった。
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