今年度は、下記のような活動と研究を実施した。 (1)『石井十次日誌』中より岡山孤児院を支えた主要な職員についての記事を取り出して入力、職員別に分類する作業を半分ほど終了した。 (2)『岡山孤児院新報』より地方委員と賛助金の内容を入力し、年度別の地方委員名簿と賛助金集金の状況をまとめた。 (3)岡山孤児院の職員であった末藤新市の日誌を2冊解読した。1冊は1895(明治28)年12月19日から1895(同29)9月23日までを中心とする茶臼原農業部時代のものである。もう1冊は、1905(明治38)年5月8日から同年11月15日までの賛助金集金の状況などが綴られている。 (4)明治30年代から同40年代の岡山孤児院の運営体制を4本の論文にまとめ、『末藤新市日誌』を活字化(2本)した。 4本の論文のうち1本目は、岡山孤児院の明治30年代前半の運営体制が、寄付金募集の強化を通して変化して行く経過をまとめた。2本目は、財団法人化する前後の同院の運営体制の形成過程をまとめた。3本目と4本目は、岡山孤児院が明治40年代に岡山本部、茶臼原孤児院、大阪事務所(大阪分院)の三部制を取ることになるが、この時期の運営体制の実態をまとめた。 また、『末藤新市日誌』は、(3)を活字化したものであり、岡山孤児院で働いていた職員の活動内容やその内面が理解できる資料として貴重なものと言えよう。今後この『日誌』の内容的な分析が必要である。
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