研究課題/領域番号 |
11610253
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | 静岡大学 |
研究代表者 |
花井 信 静岡大学, 教育学部, 教授 (10022295)
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研究分担者 |
柏木 敦 日本学術振興会, 特別研究員 (00297756)
谷 雅泰 福島大学, 教育学部, 助教授 (80261717)
三上 和夫 神戸大学, 発達科学部, 教授 (80093467)
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研究期間 (年度) |
1999 – 2001
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キーワード | 人口動態 / 学校暦 / 特別学級 / 子守 / 学校設置地域 |
研究概要 |
日野村は、三方を山に囲まれた、扇状地一帯に開けた。米を除けば、産業の主力は桑栽培であり、次いで木材・炭である。人口構成は、日露戦争後の時期でいうと、年齢に応じたピラミッド型を形成している。結婚世帯の増加による児童増であり、村の再生産にとって大きな意味を持つ。学校設置の地域については、日野村の産業の中心地である、間山区に置かれた。人口集密区でもあったのだろう。 学校暦、たとえば休日については、地域の農繁期にあわせて学校も休日になる、村の神社の祭日にあわせて学校は休日になるなど、地域一体型といえる状況であった。学校行事としての運動会は、明治期には登場しない。山間僻地ともいえるところでは、運動会として行くところも近在にはなかったのだろうか。 明治30年代になって、同窓会・夜学会・青年会が結成され、活動を開始する。それらに学校教師が参加し、学校をそれらの活動場所として提供する。学校と地域社会の連携が、この時期から始まると見ていい。 子守などの仕事で学校に来られない子どもに対しては、特別学級が作られて、受け皿を用意した。貧しい農村にあっては、その状況に応じた学校態勢が必要だったのである。これを慈善的教育と考えるのではなく、地域に応じた学校づくりと積極的に評価すべきである。
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